三度のオリンピック出場                 
 第五回ストックホルム大会の開会式入場行進 (1912年7月14日)
短距離の三島弥彦が国旗、金栗はプラカードを持つ。プラカードははじめ「JAPAN」にすることになっていたが、「日本という本当の呼び名を使い世界の人々に知らせる必要がある。JAPANならやめさせてもらいます」と金栗は「JAPAN」とするのを反対した。団長の嘉納治五郎はローマ字で「NIPPON」はどうかと提案し。金栗を納得させた。アントワープ大会以後は、「JAPAN」が使われた。
 ※暑さのため、26.7キロ地点で棄権
 ※このとき20歳
 アントワープ大会のランニングシャツ(1920)
前に「ANVERS」(フランス語でアントワープの意)、後ろに「1920」とある。アントワープ大会関連のランニングシャツであろう。

 ※2時間48分45秒で16位
 ※このとき29歳
 第八回パリ大会で激走する四三(1924)
32.3キロ付近で意識不明となり落伍した。大会後第一線から引退。

 ※このとき33歳
 ユニホーム姿に金栗足袋をはいた四三
ストックホルム大会より東京高師近くの足袋屋ハリマヤ黒坂親子に頼んで足袋の改良に取り組んだ。凹凸のあるゴム底をつけた「金栗足袋」が完成。大正末期にハゼをやめ、甲にヒモをつける型に変わった。これは戦後まで多くの選手に使われた。
 54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でゴールした瞬間
四三は、スウェーデンオリンピック委員会からオリンピック記念行事へ招待され、55年振りにスウェーデンを訪れた。ストックホルム大会で途中で棄権してゴールをはたせなかった四三が、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3でゴールを果たした瞬間、「日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年…。これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」とアナウンスされた。これに答えて四三は「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とユーモアあふれるスピーチをした。

 ※1967年3月21日撮影
 ※このとき75歳
 資料提供:玉名市歴史博物館こころピア