写真で見る第二高校40年の歴史 第一部 二の丸時代の思い出

昭和37年4月11日
午前十時、職員並びに新聞記者の注目の前で、鰐渕武之教育委員(前熊本商科大学学長)の揮毫による、桧の材の門札が広永政太郎初代校長の手で門柱に掲げられた。

創設の頃の本館(右)と校舎
この地は熊本城内の熊本大学医学部薬理教室の跡であり、医大移転後数年間放置されていた。草茫々の荒れ地で廃屋の跡を整備し普通高校7学級が設立された。

昭和41年撮影(二回生福尾さん提供)
手前の右側の教室はプレハブ(3-10)。11組の傘だなの所より本館(裏側)を望む。

昭和37年4月11日午後1時30分
第一回入学式が小講堂において挙行された。開校記念式典が秋に準備されていたので、内輪だけの入学式になった。 県にとっては50年ぶりの開校であり、歴史的な行事であった。

昭和37年10月13日(土)午前10時
本校校庭において開校記念式典が挙行された。来賓181名(寺本県知事 熊大学長 熊日社長など) 保護者86名 生徒383名 職員21名が参加した。

本館職員室・校長室を望む。2回生福尾さん提供

昭和39年9月
市立高校で行われた高体連大会で開校以来、全ての部に先立って初優勝を遂げた。決勝では市立商(現千原台)と戦った。この優勝は新設なった二高生に大きな励ましとなった。ハンドボール部は前年度決勝に進出して惜敗していた。


昭和40年3月1日
第1回卒業式がクラウンドで行われた。広永校長は式辞で三年間苦楽を共にした生徒へのねぎらいと励ましを贈られた。寺本県知も臨席され卒業生を励まされた。 生徒達の進路状況は国立25名、公立9名、私立133名、短大35名、各種学校26名、就職は32名、公務員30名、その他という結果であった。世論もこの実績を高く評価した。(「20年史より」抜粋)

昭和40年11月
九州高校野球県予選 初優勝 熊本二6-第一工5。創部3年目にしての快挙 野球部の優勝は校内の意気を盛り上げた。決勝は熊本第二高と第一工業の間で争われ、再三の逆転の末、熊本二が初優勝した。38年野球部を結成して以来、わずか三年目になし遂げた優勝だった。

昭和41年
硬式・軟式テニス部インターハイ(青森)に出場。昭和42年硬式テニス二年連続の全国大会出場。

昭和41年
陸上部インターハイ(青森)出場。800m(山縣さん) 砲丸投げ(森さん) 3回生山縣さん写真提供。

昭和42年6月
サッカー部 高校総体決勝で熊本工業を2-0で下して優勝。全国大会に出場した。

昭和43年7月20日
二の丸校舎との訣別式が終業式後の午前11時より行われた。指揮にはPTA・同窓生等の出席をえて行われた。式は広永校長の挨拶、生徒代表の宮本さんの涙ながらの別れの挨拶、校歌斉唱、「県立第二高校創立の地」と記した記念標木の設置が行われた。

この標木を取り囲んで、在校生1800名が円陣を組み、合志応援団長の指揮の下に二高生徒歌を歌った。PTA会長の万歳三唱、別れの曲が流れる中で式を終わり、足かけ6年間の二の丸時代は幕を閉じた。