この話については正確な資料が残っていないため少し推測の話になります。引冶2年室町時代南北朝末期の時代に天草郡有明町を中心として治めていた上津浦氏という武士がいました。彼が北朝側か南朝側かは定かではありません。その上津浦氏が大道に上陸、そのとき戦ったのが大堂蔵人です。しかし蔵人は敗戦、船二艘で脱出し、片方は、天草郡中田の浦へ、もう片方は薩摩の長島に逃げました。しかしなぜ大道地区に蔵人の墓があるのかは定かではありません。仮説では蔵人が大道地区になんらかの功績を残したと言い伝えられています。それでその功績をたたえ大道という名前が付いたといわれています。
